『ニュー・アース 第4章』エゴをはさまざまな顔でいつのまにか私たちのそばにいる
全米で580万部を突破した「ニュー・アース 意識が変わる世界が変わる」の内容を各章ごとにお伝えしてまいります。
作者のエックハルト・トールについて...
エックハルト・トールはドイツ生まれでカナダ在住のスピリチュアル・マスターです。
彼は29歳の時、長期間に渡り自殺を考えるほどの鬱に悩まされていました。
しかしその後「内なる変革」を通して人生を変えるような至福を経験しました。
彼は特定の宗教あるいは伝統的な教義に属さない現代のスピリチュアルな指導者で、著書やセミナーを通じて苦しみから脱する方法について語っています。
この本は私の人生を変えたといっても過言ではないほど私の人生に大きな影響を与えています。私はこの本を読んで「目覚め」のプロセスが始まった一人です。
誤解のないよう申し上げておきたいのですが、私は悟りを開いているわけではありません!
この本は10章で構成されています。
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第4章 エゴはさまざまな顔でいつのかにか私たちのそばにいる
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第4章「エゴはさまざまな顔でいつのまにか私たちのそばにいる」
※私が解釈した視点からお伝えしています。
エゴは他者の関心を糧にして肥え太る。エゴはすべてのエネルギーがあなた自身の中にあることを知らないからエネルギーを外に求める。
観念的な自己意識はポジティブだろうとネガティブだろうと、どちらも「エゴ」である。誰かに優越感や劣等感を感じたなら、それはあなたの中のエゴが感じているのだ。
エゴのなかには他者の関心を得られないとそれを引き出すために役割を演じることがある。例えば、子供が悪さをして関心を引こうとするのがそれである。
「私はちゃんと存在してる、どうでもいい人間ではないと言ってくれ」というエゴの叫びである。
被害者意識もエゴのパターンの一つだ。同情や憐みや抱えている問題で他者からの関心を求める。「被害者」という役割を振り当てた物語に自分を同一化してしまうと無意識にその物語を終わらせたくないと思う。エゴは問題の終結を望まない。
恋愛関係にもエゴは潜んでいる。ほとんどの恋愛には「あなたが望む私を演じるから、あなたも私が望むあなたを演じてほしい」という無意識の要求が潜んでいる。
そこに真の愛は存在しない。互いが役割を演じていられる間は問題ないが、演じられなくなった途端、関係は破綻へ向かう。
文化の発展につれて、支配者、聖職者、戦士、農民、商人、職人、労働者などの機能が振り当てられるようになり、仕事がその人の役割となって、役割が自分のアイデンティティとなり、他者の目に映る自分が「自分」だと考えるようになる。しかし、どんな「役割」も本物のあなたではない。
「役割」になりきってしまうと「無意識」になる。人間関係が真正でなくなり人間味を失う。「役割」になりきって自分を失うと人間らしいつきあいはできない。
あなたは自分に対して「自分は何者であるか」という観念的なイメージを持っている。
そして、相手に対しても観念的なイメージを持っている。
つまり、「あなたが考えるあなた」という人物が「あなたが考える相手」とつきあっている。複数のアイデンティティが絡み合うことで人間関係に多くの葛藤がつきまとう。
アメリカでは「最近いかがですか?」と聞かれると「元気ですよ」という役割を演じることが普通になっている。役割を手放して自分に正直になることが必要だ。
しかし、あなたがもし「不幸だ」と感じている場合、「私は不幸だ」と言ってはいけない。「私の中に不幸がある」というのが正しい表現である。
「不幸」はあなたとは何の関わりもない。
不幸の第一原因は状況ではなく、その状況についての「思考」である。
状況は常に中立で「あるがまま」である。
「親」という役割にもエゴの要求が隠れている場合が多い。
子供の必要性を満たす以上の過剰な干渉などは威圧的な支配に変わる可能性がある。
子供は親を通してこの世に生まれ出るが「親のものではない」。
子供に関心を注ぎ「いまに在る」という形を超えた次元で触れ合うことで、親という役割から離れることができる。役割を手放すと静かな気づきとなって「存在」し、その「存在」が子供と触れ合うことになる。そこに真の愛情が生まれる。
どんな状況でも、役割に自分を同一化せず、しなければならないことをする。これがこの世に生まれた私たちの学ぶべき人生の基本的なレッスンである。
自分らしくある人たちは際立った光彩を放っており、こういう人たちだけがこの世界を本当に変えることができる。新しい意識の担い手である。
彼らの影響力は行動や機能をはるかに超えたところまで及ぶ。彼らがシンプルに自然に控えめに存在するだけで出会う人々を変容させる効果がある。
役割を演じていないとは「行動にエゴがでしゃばらない」ということ。
駆け引きや計算がなく下心がない状態。
人とつきあうときは機能や役割であるよりも、意識的に「今に在る」場として向き合おう。
エゴに囚われている人は苦しみを苦しみと認めず、それによって他者に及ぼしている苦しみが見えない。そして、自分が創り出したネガティブな状態を「私の苦痛はあなたのせいだ」とエゴは言う。自分が苦しみを創り出していることに気づくことができればどんな状態にも知的に対応できる可能性が開ける。
エゴは分離を創り出し、分離は苦しみを創り出す。
ネガティブな状態は常にエゴである。ネガティブには微妙な状態があって、それはふつうネガティブとはみなされていない。短気、苛立ち、神経質など。
そこに気づくためにはすごぶる鋭敏で、絶対的に「いまに在る」必要がある。
生きる秘訣、すべての成功と幸福の秘訣は「生命とひとつになること」である。
生命とひとつになることは、「今」という時とひとつになることだ。
そのときあなたは自分が生命を生きているのではなく、「生命があなたを生きているのだ」と気づく。生命が踊り手であなたが舞踊なのだ。
エゴは「あるがままのこの瞬間」に対抗する。それがエゴの特徴の一つだ。
それによってネガティブな状態が創り出され、エゴが肥え太り不幸が生まれる。
結果的に自分も他人も苦しめるが自分では気づかないし、自分がこの地上に地獄を創り出しているとも思っていない。気づかぬうちに苦しみを創り出す、これが無意識な生き方の本質だ。エゴは他人を糾弾するが、自分がそれとまったく同じことをしているのに気付かない。
何千年もの苦しみに終止符を打つには自分の内面の状態に責任をもつことから始める必要がある。つまり、たったいまからである。
思考から気づきへの変化が起こると偉大な知性があなたの人生に働き始める。気づきによって、感情や思考が個人的なものでないことがわかってくる。
もうそこに自己はない。実は多くの人にとって最大の敵は自分自身である。
人間は心の中で自分を「私」と「私自身」という二つに分けてしまうが、その裂け目からエゴが生じる。エゴは統合失調症なのだ。
あなたが「私の生命」と言ったり考えたりするとき、あなたは妄想の領域に入っている。「私の生命」というものがあるなら「私」と「生命」は別のものということになる。言葉と概念が生命を二つに分割してしまうのだ。
「生命」と「私」が別々に存在することなどありえない。私が生命を所有しているのではなく、「私が生命そのもの」なのだ。私と生命はひとつである。
だから「私の生命」というものはないし、私が生命を所有しているのでもない。
私は命を失うことはできない。なぜなら、私が私を失うことなど不可能だから。
次回は第5章「ペインボディ-私たちがひきずる過去の古い痛み」をお伝えします。