『ニュー・アース 第2章』エゴという間違った自己のメカニズム
全米で580万部を突破した「ニュー・アース 意識が変わる世界が変わる」の内容を各章ごとにお伝えしてまいります。
作者のエックハルト・トールについて...
エックハルト・トールはドイツ生まれでカナダ在住のスピリチュアル・マスターです。
彼は29歳の時、長期間に渡り自殺を考えるほどの鬱に悩まされていました。
しかしその後「内なる変革」を通して人生を変えるような至福を経験しました。
彼は特定の宗教あるいは伝統的な教義に属さない現代のスピリチュアルな指導者で、著書やセミナーを通じて苦しみから脱する方法について語っています。
この本は私の人生を変えたといっても過言ではないほど私の人生に大きな影響を与えています。私はこの本を読んで「目覚め」のプロセスが始まった一人です。
誤解のないよう申し上げておきたいのですが、私は悟りを開いているわけではありません!
この本は10章で構成されています。
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第2章 エゴという間違った自己のメカニズム
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第2章「エゴという間違った自己のメカニズム」
※私が解釈した視点からお伝えしています。
この世に存在するものすべてには「名前」がついていて、人間は何かに言葉を付与することでそれが何であるかを知ったと思い込んでいる。しかし実際は何もわかっていない。
例えば、人間には目が2つあるが、目がついている理由や何故2つなのかについては知ることができない。私たちが知っているのは目の機能や働きだけ。
結局のところ目について根本的に知ることはできない。
この理論はこの世のすべての存在に当てはまる。
小鳥や樹木、ましてや人間を究極的に知ることはできない。
人間は計り知れない深さを持っていて私たちが感知し経験できるのは表層だけでほんの一部。表面的な見かけの奥ではすべてがつながっている。
言葉やラベルを貼りつけないで先入観なく世界をありのままに見ることができれば奇跡のような畏敬の念がよみがえり自己の本質を経験することができる。
自己の本質を経験するためには「本物の自分(在るという意識)」と混同されている「偽物の自分(エゴ)」を切り離さなくてはならない。
「私」という言葉には根源的な誤りがある。
そもそも「私」とは知ることができない「謎」の存在。
その「謎」に様々なアイデンティティを付与したものを「私」と呼んでいる場合がほとんど。思考や性別、持ち物、身体、国籍、人種、宗教、職業、過去の記憶、知識、好悪など、さまざまなものがアイデンティティになり得る。通常「私」という言葉を使う場合に指しているのは「本物の自分(在るという意識)」ではなく「アイデンティティ」である。
「偽物の自分(エゴ)」は過去によって条件づけられている。
エゴが生まれるもっとも基本的な精神構造の一つが「アイデンティティ」。
「アイデンティティ」とは「同一化」するという意味。
「同一化」とは自分と何かを「同じだとする」ということ。
例えば、子供がオモチャと自分を「同一化(自己意識を付与)」すると、オモチャは子供のアイデンティティの一部になり、子供の頭の中に「このオモチャは自分のもの」という思考が立ち上がる。このアイデンティティはやがてエゴを生む。
もしオモチャを失くしたりすれば子供は自分の一部を失ったような気持ちになるだろう。しかし、実際は何も失っていない。
オモチャを失くしても「本物の自分(在るという意識)」を失うことはない。
オモチャを介して「本物の自分(在るという意識)」と「偽物の自分(エゴ)」が混同されただけ。
このように、人は簡単に「モノ」と自分を同一化する習性がある。
しかし、「モノ」と「自分」を完全に同一化することは不可能。
なぜなら本物の自分は「在る」という意識であり、それは何も必要としていないから。
私たちは自己意識に何かを付け加えるために様々な商品を買ったり、知識を身に付けたりするがそれはすべて「偽物の自分(エゴ)」の要求が根源にある。
何にアイデンティティを感じるかは人によって、年齢や性別や所得、社会階層、流行、文化などによって大きく異なるが、共通しているのは「何かにアイデンティティを求めたい」という無意識な衝動があるということ。
人が「モノ」と同一化しようと努力しても上手くいくことはない。
「本物の自分(在るという意識)」は何も所有する必要がないから。
しかし、「偽物の自分(エゴ)」は生き延びるために「アイデンティティ」が必要なので「モノ」と同一化するよう要求する。消費社会はこのようにして成り立っている。
「本物の自分(在るという意識)」を感じることができないと何かにアイデンティティを求め続け「モノ」への執着や強迫観念が生まれる。結果的に「より多く」という消費構造が持続する。しかし、どんなに素晴らしい「モノ」を手にしてもエゴは決して満足することはない。
エゴは「所有」以上に「欲しい」と願う。
所有してもしばらくすると「もっと欲しい」という心理的要求が生まれる。
エゴが示すのは必要な要求ではなく依存的な要求。
では「モノ」への執着を手放すにはどうしたらいいのか?
「モノ」と「同一化」しなければ「モノ」への執着は自然と消えていく。
「モノ」に自分を見出そうとしないこと。
対象の「モノ」を失う危険にさらされて不安を感じたりする場合は「モノ」と自分を「同一化」しているということ。
自分が執着していることに気づいたら、その気づきこそが「本物の自分(在るという意識)」である。
エゴは存続するために「同一化」する「モノ」が必要であり、その要求は地球の資源とつりあいがとれない。地球は今、限界の状態を迎えようとしており一刻も早く「エゴ」を持続させている構造に気づいて対処する必要がある。
自分と「同一化」していたものが崩壊したり奪い去られたりするとエゴも崩壊する。
エゴとは形との「同一化」だから。
「同一化」する対象が何もなくなったとき「私は在る」という意識が立ち上がる。
それこそが本物の自分。
次回は第3章「エゴを乗り越えるために理解すべきこと」をお伝えします。