たらこな日々

Being in the "Now"

悟りを開くと得られるもの? by エックハルト・トール

エックハルト・トールはドイツ生まれでカナダ在住のスピリチュアル・マスターです。

彼は29歳の時、長期間に渡り自殺を考えるほどの鬱に悩まされていました。

しかしその後「内なる変革」を通して人生を変えるような至福を経験しました。

彼は特定の宗教あるいは伝統的な教義に属さない現代のスピリチュアルな指導者で、著書やセミナーを通じて苦しみから脱する方法について語っています。

 

風の時代の到来でスピリチュアルへの関心が高まってますよね(*^_^*)

悟りに興味を持っている人が増えているように感じます。

「悟りを開くと何を得ることができるのでしょうか?」

ある男性がエックハルト・トールに質問しました。

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※私が理解した視点からお伝えしてます※

 

「悟り」を求める動機はさまざまですよね。

悟りを求める動機そのものがエゴになる危険性を含んでいて、実際にそうなることは容易に起こり得ます。

何を達成しても何を手に入れてもエゴは不足や不満を感じます。それがエゴの性質です。それで見聞きしたことのある「悟り」に可能性を見出すのです。

エゴはゴールを設定して「悟り」を手に入れようとしますが上手く行きません。

ご存知かもしれませんが、人生には二つの不幸があります。

「願望が叶わない不幸」と「願望が叶う不幸」

 

エゴは欲しいものを手に入れても満足できずいつもフラストレーション抱えていて常に「永久的に満足できるもの」を求めています。

そして完全な満足を与えてくれそうな「悟り」を求めるのですが...

エゴは同時に「悟りってなんだろう?悟りは何をもたらしてくれるんだろう?」と疑問を抱きます。

エゴは幻想の世界でしか生きることができないので悟りを開くと自分が消えてなくなってしまうのではないかと恐れているのです。

しかし、実際はというと... 誰も「悟り」を開いてはいません。

なぜなら、もし悟りを開いたとしても「私は悟りを開きました」と語るのは誰でしょう?

エゴですよね(笑)

(※悟りを開くとは「今に在ること」なのでエゴは存在できません。詳しく知りたい方はこちらをお読みください)

 

究極的に言えば「悟り」は達成できるものではありません。

なので悟りによってエゴを満足させることはできません。

私は「悟りを開いた」とか「何かを達成した」という感覚はありません。

究極的には悟りを開くことはできませんが、もしあなたがエゴを介さず観念なしに見ることができたなら、そこにはいつもあった別の何かが突然現れます。

それは絶えず見過ごされていた何かです。

 

「悟り」を求める動機が「永久的な満足」ではなく他の動機の場合もあるでしょう。

その時は「悟り」ではなく「解放」という言葉を使うとよいのではないでしょうか。

充足感を得るためではなく自分を苦しみから解放することも「悟り」を求める動機になるでしょう。

 

人生で大きな苦しみに出会うとき、その苦しみの先にあるものに気づき、それについてもっと知りたいと思うことが「悟り」を求めるより良い動機になり、最終的に悟りを開いたとき何が得られるかを知ることになるでしょう。

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エックハルト・トールは「悟りを開いてるってどんな感じですか?」と質問されて、

「気分がいいですよ」(feels good)と答えています。

しかし、それは悟りの状態を指しているのではなく「今に在ること」についての感想を述べたと説明しています。

悟りを開くことはできない... 悟りは個人的な経験ではないからですね(*^_^*)

「願望が叶わない不幸」と「願望が叶う不幸」

結果はどうであれ願望自体が苦しみを生み出しているんですね!

「今に在る」ことで願望も薄れていくように思います(*^_^*)